夢で出会った?漫画家「つげ義春」の風景
漫画家「つげ義春」で感じた既視感(デジャビュ)
みなさん、どこかの街角で「あれ?ここきたことある!」とか「この景色見たことある!」といった感覚に陥ったことがあるかと思います。
いわゆる、既視感(デジャビュ)ってやつですね。
原因は諸説あるそうですが、いまのところ詳しく分かっていないと。
既視感というのは意図的に再現できるものではないので、研究がほぼほぼ不可能なんだそうです。
既視感というのは基本的には現実の話ですが、私はつげ義春の漫画でこの既視感に似た感覚を感じたことが何度もあります。
当然漫画であるにもかかわらず、「あれ?この景色みたことある!どこだっけ・・」と言った感じですね。
例えば、漫画家つげ義春の作品のひとつ「海辺の叙景」の最終コマ、水泳は得意なんだ!と海を泳ぐ主人公を陸から眺めたシーンだったり、「初茸狩り」の雨の景色だったり、「やもり」の明かりについたやもりだったり、「夢の散歩」の風景全般だったり・・。
全て、みたことなんかないはずなのに、漫画ですから。
でもなぜかものすごくリアルに脳裏に蘇ってくる。
でも、漫画家つげ義春作品の映像化ではそういうことは起こらないんですよね。有名な監督さんが撮ってたり、名優さんが演じてたりするのに。
漫画家「つげ義春」で感じる不思議な感覚はどこからくるのか?
さてなんでだ?と考えてながら既視感について調べていると、面白い既視感の説がありました。
ジークムント・フロイトの説ですが、「既視感とは夢でみた風景である」と。
夢で無意識にみた景色だから覚えていないし、意図的に思い出すことも出来ない。
でも無意識で見たその風景に酷似した景色を見たときに、「この景色見たことある!」っと意識に上ってくるのだ、というのです。
でちなみに、夢でみた風景って、覚えてるものもあるかと思います。
人によるのかなと思いますけど。大体あいまいですよね。
その人が誰かは分かるんだけど、顔はぼやけてるというか、はっきりしていない。
景色や物も、そこがどこで、それが何であるかは何故か分かるけど、細部ってはっきりしてない。
そして白黒の夢っても多いのではないかと思います。
これが正体なのかな、と。
つげ義春自身、夢を漫画にしていたり、夢日記を書いていたりと漫画の中に夢を落とし込んでいたそうです。
あいまいで、暴力的に話が途切れていそうなのに何故かつながっていったり、どこでもないのに、どこかで見たことあるような気がする漫画家つげ義春の世界に、私たちは夢の中で既に出会っていたのかもしれませんね。
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