ネタバレ注意!五十嵐大介著~海からやってきた子供たち~海獣の子供

~海からやってきた子供たち~海獣の子供!五感に訴える画力と民俗学の知識に裏付けられた世界観

「~海からやってきた子供たち~海獣の子供」、これほどまでに五感に訴え、日常にまで影響を及ぼす作品は珍しいのではないかと思う。

良い作品はイマジネーションを刺激する。

この漫画は中学生の琉花と、海中でジュゴンに育てられた二人の子供たち、空と海との交流を中心に、世界の成り立ちについて作者の独自の視点から描き出された物語だ。

「何かをすでに知っている様子の」

一種、人間を超越したような怖さを身にまとったような子供たちと、博識な登場人物たちの間で会話が紡がれていく。

民俗学的な物語の懐かしいようなおおらかさ、自然の怖さ、生命の循環、そういったものに吸い込まれていくような感覚を覚える。

物語を最後まで読んだが、結局のところ、わたしには何が起こったのかよくわからなかった。

言葉で説明するのが難しい領域の物語なのかもしれない。

「物語世界を体感したかのような錯覚」が読後に残った。

別ジャンルとなるが、ピアニストの卵たちを描いた、一色まことの「ピアノの森」も個々人の中に眠っているイマジネーションを自ずと発見させるような効果を持った漫画だ。

ピアノの森の読後、わたしはピアノとの会話が特別なものに変わった。

わたしはピアノを弾きながら、世界と繋がっているような安心感に包まれる。

この漫画の五感に訴えかける瑞々しさは、海獣の子供を読んでいる間の感覚と少し似ていると思う。

~海からやってきた子供たち~海獣の子供!漫画の影響力、個人的な日常での変化

五十嵐大介著「~海からやってきた子供たち~海獣の子供」を読んでわたしが個人的に得たもののひとつとして、「水の中に長い時間潜る身体の使い方の発見」がある。

海中を自在に泳ぐ子供たちについて考えているうちに、自分の泳ぎ方まで変わってしまった。

(えっ?)と思われるかもしれないが、イマジネーション、暗示、催眠の力は侮りがたい。

スポーツを日常的に行う人なら、経験があることだろう。

この漫画を読み終わったあと、わたしは妹夫婦と連れだって水深の深いプールへ泳ぎに行った。

いつものように泳いでいるうちにふと思い立ち、潜水を試みた。

そのときわたしが頭に思い描いたのは、海底を泳ぐ魚、植物や光の揺らめきなどである。

そうすると段々と、自身も海の生物であるかのような暗示がかかってきた。

(どうしたら水の抵抗をなくせるか?息が苦しくならないか?)

皮膚で水と会話するように感覚を開いて泳ぐうち、「酸素を消費しない泳ぎ方」のコツがわかってきた。

結果。

25mの潜水をしても呼吸が荒くなることもなくなった。

(ちなみにもともと特に潜水が得意なわけではない)

コースの端に、気配もなくぽかっと浮かび上がってきた私を見た妹は驚きの目で私を見た。

「ねーちゃん、なにやってんの?てか、今どこから現れたの」

「海の生物ごっこ・・・?ずっと潜ってたの」

自然の中にいるときのほうが、体が自由に動いた経験はないだろうか。

私の場合はそうゆうタイプで、子供のころから競争が苦手だったので、運動会や競技会ではピリピリとした気に当てられて緊張してしまって成績が伸びない方だった。

自然の中にいるときのほうが、身体能力が普段より上がっている。

うまく言い表せないのだが。

そのとき私の細胞は、生まれてきてから経験したことの外の記憶を、思い出しているのかもしれない。

~海からやってきた子供たち~海獣の子供!感覚的なもの、自然と自己との関係性の再発見

に入っていると、自然と心身が一体となって浄化され、安心した気持ちになることがある。

強すぎる自然の中で人間は無力だ。

自分が生かされていることを思い出し、生命のからくりの大きさに圧倒され、畏怖する。

人が自然の中である種の集中した状態にあるとき、感覚を開いているとき、その人間は彼岸に近い場所にいるのではないか、と仮説として言語化してみる。

彼岸へ行って、帰って来る子供たち。

オカルト的な話で申し訳ないのだが、この漫画はどうもそのような、超自然的な感覚をわたしたちに垣間見させ、気付かせるための物語のような気がする。

この物語には秀逸なセリフが多く出てくるのだけれど、そのひとつを抜き出してみる。

「言語は性能の悪い受像機みたいなもので、世界の姿を短すぎたりゆがめたりボヤかして見えにくくしてしまう。

“言語で考える”って事は決められた型に無理に押し込めて、はみ出した部分を捨ててしまうという事なんだ。

鯨のうたや鳥の囀りアザラシの泳ぐ姿のほうが、ずっと豊かに世界を表現している。

きっと昔は人類も同じだったはずだよ。鯨たち…海の生物たちと同じ……」

(4巻321~322ページ/アングラードのセリフ)

わたしは彼岸の向こうからこちらの世界へ来て、また向こうへ帰っていくのだろうな、なんてことをたまに考える。

わからないことだらけだ。

わたしたちは自然の手のひらの上にいる。

そしてそれらを構成する小さな小さな一部であり、全体である。


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